ミスコン=悪なのか。「美を武器にする」ことの正当性と「不快」の理由/雨宮 紫苑 ドイツ在住フリーライター

東大のミスコン候補者が運営のセクハラを告発したことをきっかけに、改めてミスコンのあり方が問われている。「容姿で人を格付けするのってどうなの?」という疑問は、とても現代社会らしいといえるだろう。

モデルの写真を加工せず載せることが健全性アピールになり、整形大国といわれる韓国エンタメ界でも一重で整形をしないスターたちが出てきている。  「一方的な美の価値観」を求められることに対する嫌悪感や抵抗感が大きくなる一方で、自分らしい見た目を選ぶ人が支持されているのだ。

そんな流れのなかで、ミスコンが「時代遅れの遺物」として槍玉に挙げられるのも、当然といえば当然かもしれない。

 

美を武器にしてはダメなのか

ミスコンを見ると心がざわつく理由

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勝手なジャッジメントに傷ついた体験

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容姿端麗は魅力のひとつ

たとえスポーツでも審査員によるジャッジメントのときは不満も出てくることがある。明らかな優劣で決められない曖昧さが「容姿」には当然ある Photo by iStock

勝手にジャッジされるのはおかしい

雨宮 紫苑(ドイツ在住フリーライター)現代ビジネス

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