2025ミス・ユニバース・ジャパン セミファイナリスト37名がひめゆりの塔を訪問

2025年5月に2025ミス・ユニバース・ジャパンのセミファイナリストのうち37名が沖縄県糸満市のひめゆりの塔、平和祈念資料館を訪れ、沖縄の歴史を学ぶ平和学習を行った。

ミス・ユニバース・ジャパンでは、日本大会までのトレーニング期間中に毎年、平和学習を行っており、今年の平和学習は、沖縄県糸満市のひめゆりの塔での開催となった。

セミファイナリスト達は、ひめゆりの塔と平和祈念資料館を見学し、第二次世界大戦時唯一の地上戦が繰り広げられた沖縄戦の悲惨な歴史や当時の沖縄の方々の生活や思いがわかる資料や映像、語り部からの講義を通して平和について学んだ。

セミファイナリスト達は、平和学習の他、様々なトレーニングを重ね、7月都内にて行われる、2025ミス・ユニバース日本代表を決める選考会に出場予定だ

ひめゆりの塔とは

「ひめゆりの塔(ひめゆりのとう)」とは、沖縄戦において動員されたひめゆり学徒隊の慰霊のために建てられた慰霊碑であり、戦争の悲惨さや平和の尊さを伝える重要な歴史的場所です。


■ 背景:ひめゆり学徒隊とは?

● ひめゆり学徒隊の概要

  • ひめゆり学徒隊は、沖縄県立第一高等女学校沖縄師範学校女子部の生徒および教師から構成された看護隊です。

  • 彼女たちは日本軍により、**軍の衛生要員(看護要員)**として動員されました。

  • 名称の由来:「ひめゆり」は、これらの2校の合同学校誌の名前です。


■ 沖縄戦と学徒動員

  • 1945年(昭和20年)3月、アメリカ軍が沖縄に上陸。

  • 同年3月下旬から、15歳〜19歳ほどの女子生徒240名あまりが沖縄陸軍病院に配属され、戦闘下で看護活動や遺体処理、食料運搬など過酷な任務に従事しました。

  • 医薬品も不足し、野戦病院のような壕(ごう、洞窟)で、爆撃の恐怖や飢えと戦いながらの任務でした。


■ 壊滅と悲劇

  • 6月18日、日本軍の敗北が決定的となり、突然の解散命令が出されました。

  • 生徒たちは前線近くに放り出され、多くが戦火や自決(強制的な自死)、壕への爆撃などで命を落としました。

  • 240名のうち、123名が死亡。教師も17名中13名が死亡しました。


■ ひめゆりの塔とは?

● 建立の目的と概要

  • 1946年に初めて慰霊碑が建てられ、1951年に「ひめゆりの塔」が正式に建立されました。

  • 沖縄本島南部の糸満市に位置しています。

  • 元ひめゆり学徒隊の生還者や遺族、地元住民によって守られています。


■ ひめゆり平和祈念資料館

  • 1989年、「ひめゆりの塔」の隣に資料館が開館。

  • 彼女たちの遺品や証言、当時の状況を伝える映像資料などが展示されています。

  • 教育目的の来館者も多く、修学旅行の定番訪問先にもなっています。


■ 現代に伝える意味

  • ひめゆりの塔は、戦争のむごさ、子どもや若者までもが巻き込まれた現実を伝えています。

  • 同時に、戦争は絶対に繰り返してはいけないという平和への誓いの象徴でもあります。


■ まとめ

項目 内容
名称 ひめゆりの塔(慰霊碑)
場所 沖縄県糸満市
関連 ひめゆり学徒隊(元女子学生の看護動員部隊)
死者 学徒123名、教師13名
設立年 1951年(初期碑は1946年)
資料館 ひめゆり平和祈念資料館(1989年開館)
意義 戦争の悲惨さと平和の尊さを伝える